Webデザイナーの転職!給料や仕事内容の変わリ方をつづる

Webデザイナーの転職

昨日ふとお風呂の中で人生を思い返していました。
社会人になってあっという間だったなーということと、今までに勤めてきた会社についてです。

私は今年の8月で33歳になりますが、
「社会人だってーこぇえええー(((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブルガタガタブルブル」
と思った時から、10年経つんだなと…

つまり、大学卒業してから、この4月で社会人まる10年となるわけです。
はやいもんです。

職業として、Webデザイナーであることに変わりはありませんが、その間に3回の転職経験をしました。

自分でもなんですが、名古屋のWeb業界では強い企業を渡り歩いてきたつもりです。
その動機や、それまでの経験などを書き綴りたいと思います。

デザイナーになろうと思ったのは大学のころ

とりあえず、私のバックボーン的な話を。

私は滋賀県の片田舎に生まれ、小さい頃からゲームが好きでした。

特にドラゴンクエストが大好きで、高校の進路相談の時に、ゲームデザイナーになりたいと親には話していました。

そんなこんなで自分としては、ゲーム関係の専門学校に行く気まんまんだったのです。

しかし、親に「専門学校だとやり直しがきかない、大学にしとけ。デザイン関係なら幅広くできるやろ」と言われ、美大への道をたたくことに。

それまで美術と無縁の生活を送っていましたが、その日を境に美術の塾に通い、デッサンを習いました。

そして、無事名古屋の美大に入学し、デザインを覚えつつ4年間遊びたくったのですwww

授業はまじめに受けていたので、3年生のころに「広告の世界っておもしろいな」と興味を示し、広告デザイナーを夢見るようになりました。

1社目は老舗のWeb制作会社

この会社との接点は、大学4年生の夏に大学にインターンシップのお誘いがあったときが一番最初です。

その頃のWeb業界はまだまだ盛り上がりに欠けるころで、コーディングもテーブルコーディングがほとんどの時期。

自分も広告デザイナーになりたいと思っていた頃だったので、まったく興味を持たずに説明を聞いていました。

しかし、渡されたパンフレットの制作実績を見ると心が揺らぎました。

おおよそ名古屋の会社とは思えないくらいの大きな企業の制作実績が載っていたのです。

デザインのクオリティも申し分なし。

「Webもこれから盛り上がってくるだろうし、何気にいいのかもなー」と思ったことをハッキリ覚えています。

それから詳しく話を聞く機会があり、インターシップまでトントン拍子。

そして、まるでワックスをかけたばかりの床のようにスムーズに内定が決まりました。

秋から冬にかけてめちゃくちゃ気楽でしたね。

そして、今から10年前の4月に入社となるわけです。

辞めていくスピードが半端ない

さて、1社目(以下A社)に入社した私は目を輝かせていたことでしょう。

しかし、3ヶ月くらい経った頃には少し濁っていたんではないでしょうか(笑)

なにしろ、辞めていく人の数が半端ない。

「え?あの先輩辞めるの?」
「え、今月も辞める人いるの?」
「え、今月も…」以下ループ

みたいな感じで止めどなく先輩たちが辞めていくのです。
「会社ってこんなもんなのかな〜」と何もしらないヒヨッコの私は思っていました。

まぁそれが何でかというのは、すぐにわかってきます。

安月給&拘束時間の長さが徐々に効いてくる

社会人なりたての頃なんて、20代前半なんで体力や前向な気持ちがあり余ってますが、それでも勤務を続けることが難しくなっていきました。

それは「給料の安さ」と「拘束時間の長さ」の問題です。

給料はほんと安かったです。
周りの正社員の人の給料を聞いて「嘘でしょーまたまたー…え?ほんとなの?」と思ったことはしばしば…。

やっすいアパートに一人暮らしして、1ヶ月後の手持ちなんて悲しいくらいになかったですね。

そして拘束時間。

入社したてこそ定時で帰れていましたが、半年も経つと終電などあったんじゃないでしょうか。

徹夜こそないものの、とにかく帰宅時間が遅い。10時に定時で終電が夜の12時なので、家には寝に帰っている状態でした。

転職を考えたのはおそらく1年目ではないでしょうか(笑)

しかし、リスクをとりたくないと言うのもありますし、「新卒は、とりあえず3年は働かないといけない」という都市伝説のような言い回しに振り回され、3年間はがむしゃらに頑張りました。

そんな生活を4年ほど続けてましたが、事件が起きます。

新卒で同期入社した4名のうち、1人の転職が決まったのです。

「あれ!やばい!」とか思ってるうち、早々に2人目の転職が決定…!

前々から転職を考えていましたが「これは本当に決めなければいけない」 と考え始めました。

そのときの地位は未だにデザインアシスタント兼、コーダー。

これからを考えてこのようなことを思いました。

「おそらく給料が劇的に上がることはないだろう」
「この残業があたり前の社風もきっと変わらないだろう」
「4年半も働いてこのキャリアってやばない?」
「自分はこのままこの会社で働けるんだろうか」

そう考えた時に、やはり転職しかないと思いました。
それまでに転職活動をちょこちょことやってはいましたが、本腰を入れるのであれば、まずは会社を辞めないと話にならないと思い先輩に相談。

そうすると、早々に退社日が決定し1社目の勤務を終えたのです。

入社して4年半が経った頃でした。

2社目はイケイケのWebサービス会社

さて、1社目を退職した私ですが、新しい勤務先選びではこのように考えていました。

「いずれは地元から通える」
「給料が人並みにもらえる」
「拘束時間が今よりも短く」

これらの条件を満たす企業が1つだけありました。
それは名古屋で力をもってきたWebサービス会社でした。

すでに私が応募した時には名前が結構売れてきている時で、「多分受からないだろうなー」と思いつつ、面接を受けたところ見事合格。
彼女とめちゃくちゃ喜んだことを覚えています。

しかし、勤務状態は結局最初はあまり変わらず

無事に2社目(以下B社)に入社したのはいいのですが、これには条件がありました。

正社員ではなく、最初は契約社員でスタートとなることです。

自分としては、B社に潜り込んで成り上がってやろうと考えていたので、2つ返事でOKだったのですが、これが少し間違いだったのかもしれません。

給与面ではA社とほぼ変わりません。
そして拘束時間ですが、終電こそなくなりましたが、定時10時から19:00までのところを21:00〜22:00とサービス残業は変わらずでした。

少しでも残業代がついてくれると気持ちは違ったのですが、ほぼ前職から変わらない結果となっていました。

「でも、いずれは…」の気持ちがあるので、最初のうちは何も考えず頑張りました。

今度の問題は社風

さて、このB社なのですが事業としては、自社サービスのWebサイトを展開することで収益を得ていました。

つまり私の立場としては、メーカーのデザイナー、俗に言うインハウスデザイナーですね。

制作会社とやることは異なり、常にサイトの更新や改善を繰り返していました。

そして何より違ったのは社風です。

イケイケなのです。

体育会系のノリで、よく言えば元気、ネガティブに言えば集中できない、とそんな社風でした。

しかし、目標に対しての動きや一体感といったものは前職では経験できないものでしたし、サイトの改善方法やアナリティクスの見方・考え方などはこの会社で学びました。
今でも同じチームだったかたには感謝をしています。

しかし、その社風についていけないなと思ったのも事実です。
将来のキャリアプランも描けないまま2年ほどが過ぎ、29歳になった私は危機感を覚え始めていました。

正社員にこそなりましたが、その社風にやはり合わないと思ったこともありますし、前職の退職理由となった、給料や拘束時間の問題も解決されていない状況だったのです。

もうすぐ30歳。
このままだと転職もキツくなる。
自分の経済状況も苦しい一方だけど、彼女との結婚もそろそろ考えないといけない。
クリエイティブなことももう少ししたい…

色んな思いがありました。
そんな時に登録していたindeedで気になる企業を見つけました。

広告業+制作会社と兼任したような会社です。
これが将来に勤めることとなる3社目の企業でした。

だいぶん引き止められたが…

辞めることを決めたのは2年半がたった夏の日でした。

水面下で3社目(C社)の面接を受け合格した私は、すぐに上司のもとへ相談に行きました。

その時に、業務上の問題や、私のことを思ってくれたこともあると思いますが、だいぶん引き止められたのを覚えています。

なんなら給料をよくするといった条件も提示していただきました。

少し考えましたが、気持ちは変わりませんでした。

さらには「土壇場であげるようなら、最初からそうしてくれたらよかったのに…」という反発心もできてしまったのです。

そうして、30歳になった夏、B社を退職しました。

3社目は、まさにこれから伸びてくるだろうというWeb制作会社

3社目は先ほど言ったような広告業+制作会社と兼任したような会社でした。

A社で制作会社を経験し、B社でインハウスデザイナーとなった私は、ある思いがありました。

デザイナーとして、もう少しがんばりたいという思いです。

インハウスデザイナーはデザイナーではありますが、クリエイティブを発揮する場面がほとんどありません。
むしろ、今まで育ててきた雰囲気をくずさないように、サイトテイストに合わせたようなデザインがほとんどです。

たまにLP制作がきたときはイキイキと仕事をした気がします。
1社目のキャリアとして、デザインアシスタントで終わってしまった私は、デザイナーとしてもうひと頑張りしたかったのです。

また、そのころ私は副業を覚えて、アフィリエイトをかじりだした頃でした。

私にとって3社目となったC社では、その当たりの知見も深く、ここに入社すればいい勉強ができるとも考えていました。

自分の思いのほとんどが叶えられた3社目

さて、私にとって3社目となったC社ですが、今思い返しても前の2社とくらべて不満がほぼなかったと思います。

デザイナーに優秀な人がいて教えてもらえるし、ディレクションも教えてもらえました。

給与面でもB社より格段にあがり、頑張れば早く退社できたのです。

名古屋の制作会社でそこまでの待遇はなかなかないのではと思います。
「ここで頑張っていこう」と決意を新たにしました。

が…

そんな日もつかの間…。

B社の退職理由に「クリエイティブなことをしたい」という思いがありましたが、ある時から「デザインをもうあんまりしたくないなー…」という思いが強くなってしまいました。

なぜかというと、単なる制作では稼ぐ力が圧倒的に弱かったためです。

今より数年ほど前から、制作会社はもう儲からないと言われていました。

単純なWeb制作だけで稼げるお金なんて知れたもの…そこに付加価値をつけなければ、制作業として継続的にもうけることは、もはやできないのです。

そしてWebデザインについても、成熟されつつあり、だれが作っても違いがほとんど出ない時代となっていました。

いくらクリエイティブなものを作っても、稼げなければ意味がありません。もちろん私自身のスキルとしてデザインスキルが伸びる要素はまだまだあったと思いますし、それさえ伸ばせば他の道も見えたかもしれません。

そして、その時間もあったと思います。

しかし、私の人生プランの中で、コレ以上デザインが上手くなっても何も旨味がないと感じてしまったのです。
ここで私のクリエイティブ欲は満たされてしまいました。

もちろん会社に恩返しをしたいという気持ちがありましたが、それよりも稼げる別のことがしたいと考え始めていました。

3つの転機が訪れた

C社を退職した理由は3つあります。

1つ目は、デザイン専門職をもうしたくないということ

このころはすでに広告やメディアに興味があったのですが、それをできる環境にありませんでした。(言い訳かもしれませんが)

デザイナー兼ディレクターとして気持ちが向かない制作業をしなければいけない…
これは、なかなか精神的にきついものがありました。

会社に貢献できないし、自分のやる気もでない、これが1つ目です。

2つ目はデザインスキルに限界を感じた

さきほど、まだまだ伸びると思うと書きましたが、それはある一定レベルまでです。

一定レベル以上となると、本当にその個人のセンスが関わってくるのではと思います。

私はこの部分に限界を感じました。社内のデザイナーに一人ズバ抜けたかたがいたのですが、天地がひっくり返ってもこの人には勝てないと思ったのです。

「ある程度までは成長できるだろう…でもそこまでデザインスキルを育てても、自分の今後に活かせる領域はほんのすこしだ」とそう思いました。

自分のデザインスキルを、これ以上伸ばしても意味がないと感じたことが2つ目です。

3つ目はクライアントとの関係

決定的だったのがクライアントとの関係性です。

制作業はクライアントあって初めて成立するお仕事です。

制作の多くは「受託」という立場になるかと思います。
ただこれをへたに勘違いするクライアントの多いこと。

制作業というものは序列で言うと「下」にみられてしまうのです。

同じステージにたって、両者ともにwinwinの関係でいきたいというのは「思い」だけ。

予算の少ないクライアントの制作を契約したが最後、「金は払ったんだから、いいからやれよ」という考えがすけるようなやりとりが日々繰り返されます。

ある時、あるクライアントから罵詈雑言を浴びせられたことがあります。

その時に、「俺はもはややりたくないデザインをして、日々を消耗して、クライアントから感謝もされず、儲けることもできず、何をしているんだろう」と思いました。

結果がでればまだいい方です。

検索順位も上がっていない、制作単価と自分のがんばりとが見合っていないWebサイトたちを見ると、自分のやりがいがどんどん無くなっていきました。

このまま日々を消耗していきたくない、なんとか自分のベストな働き方を形にしたいと考えていました。

そんな時、A社の先輩からのお誘いが…

そんなある日、新卒で入社したA社時代の先輩が転職するという話を聞きました。

そのタイミングで久しぶりに飲もうとなり、その場でデザイナーとしてお誘いを頂きました。

・インハウスデザイナーとして
・金融の知識がつく
・もうすでに成果の出ているサイトの改善ができる
・残業なし

という好条件を示され、私の心が踊りました。

何より、私は金融の知識がつくことにワクワクしました。

「もうデザイナーとしては一端のものはつくれる、これからは自分に付加価値となる何かがほしい」
それが金融知識と合致したのです。

大声でいうことではありませんが、社会人になってから本当にずっとお金に苦労してきました。
抜け出せない底なし沼のようなものに思っていました。

それが、その会社に勤めることで解決できるかもしれないと思ったのです。

ですが、C社に多大な恩を感じていましたし、転職したてということもあり、すぐには行けないということをお伝えしました。

それから1年は、恩返しのつもりで働かせていただきましたが、金融知識をつけたいという思いは日に日に強くなっていました。

そして、改めてA社の先輩に誘われたことをきっかけに、退職願いをだし、その日を迎えました。

そして今、自分にとって最高の仕事を

そして、いま4社目のD社に勤めています。

自分が考える限り、いま以上の環境はないと思います。もはや最先端のデザインをすることに未練を感じていないことも大きいと思います。

金融知識を覚えつつも、Webの事業に携われることに幸せを感じています。

まだまだ、道半ばで結果は出せていませんが、少しずつ恩返しをしていきたいと思っています。

転職を重ねて思ったこと

さて、とりとめなく書き綴ってしまいましたが、思ったことをひとつだけ。

それは、全てのことは今に生きているということです。

A社では、デザインやコーディングの礎を学び、
B社で、サイトの改善方法や、社会人としてのマナーを、
C社で、デザインとディレクションのスキルアップを。

それぞれの経験が今の私をつくっています。

グレーな部分も全てひっくるめて感謝をしています。

これからも長い「働く時間」が待っていますが、今までの経験を糧に自分の力を発揮していきたいですね。

社会人10年を祝して!!

学びながら最大10万円支給+若者正社員チャレンジ事業